能登麻美子さんの結婚に寄せて

 朝からこれほど動揺をしたのは、直近ではプリンス逝去の報以来であった。まるで実感が沸かなかった(そこには誤報であって欲しいという願いもあった)彼の逝去とは異なり、恐らくこれは現実であり、また、祝福すべきことだという事はまだ寝起きの頭でも理解できた。

 彼女の事を認識したのは比較的初期のキャリアと言える『マリア様がみてる(2004)』が初めてであったように記憶している。僕は聖様の脆さや危うさが大好きだったが、それを支え続ける志摩子さんの事も同様に好きだった――恐らくこれは、幸福な出会いであったように思う。僕自身、それ以前に富野御大の洗礼を受けていたし、シスプリの衝撃に立ち会い、FLCLとも衝突事故を起こしていたわけであり、それ故に彼女がカルチャーの入り口であったとは言えないが、一つだけ確かなのは、僕にとって彼女は「声でアニメを選ぶ」という関係を結んだ初めての人であったという事である。

 ジュニーニョ・ペルナンブカーノがただフリーキックが上手いだけの選手ではなかったように、能登麻美子もまたウィスパーボイスという一発芸のみでここまでのキャリアを築いてきたわけではない。そのキャリアにおいては難しい時期もあったが、彼女は見事に自分の居場所を見つけてみせた。靭帯を断裂した後のアレッサンドロ・デル・ピエロは、かつてのスピードを失って以降も卓越した技巧で勝負し続けたが、彼女はキャリアの中でその技術を磨いていった。ただ偉大なるアレックスが彼の”ゾーン”を譲らなかったように、彼女の基本的な姿勢は大きく変わる事は無かった。

 彼女が転向した作品を一つに絞るのは難しいが、転換点となったのは『花咲くいろは(2011)』や『アイカツ!(2012)』あたりだろうか。翌年の『有頂天家族(2013)』の頃には既に違う方向を向いていたように思う。同時期に、かつてのヒロイン役から遠のいていく事について残念に思う意見はいくつも見受けられたが、それは自分自身の老いを映し出す鏡でもあった。ポップカルチャーにおける時の流れはいつだって残酷であるが、誰もが丹下桜のようになれるわけではないことを、我々は良く知っているはずである(それゆえに、花澤香菜が"カミナギ・リョーコ"に刻みつけたあの美しい瞬間の記録を見逃すべきではない)。

 雑な総括ではあるが、彼女は声優産業がアイドル産業と不可分になりつつある以前の、幸福な時代を生きた女性の一人である事は間違いないであろう(かつて我々は種﨑敦美が歌って踊る姿を想像しえたであろうか?)。また、歌唱力に恵まれたわけではなかったが、その中でも"あしたの手"や"Spring Summer, Fall"など、橋本由香利女史のペンによる素晴らしい楽曲を残している事は最後に触れておきたい(それと、出来はともかく彼女による"圭子の夢は夜ひらく"のカバーが聴けたのは『君に届け』のスタッフに感謝すべきである)。

 冒頭のプリンスとは異なり、今報道されている限りでは彼女のキャリアがこれで終わりを迎えるということはなく、引き続き、我々は彼女のあたらしい声を聴くことが出来る。能登麻美子さん、本当にご結婚おめでとうございました。